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世界の歴史〈21〉帝国主義の開幕 (河出文庫)
Kindleストア, 中山治一
によって 中山治一
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砲声とともに西欧文明は進撃する! 輝ける人類の進歩と発展は、近代国家エゴイズムの相剋と力の論理による世界地図塗りかえ戦争、侵略によって支えられた。世紀末から大戦への暗闘の歴史を描く。
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著者は、京大教授。1877年のベルリン会議(日本では西南戦争のころ)からビスマルク、日露戦争、第一次世界大戦、国際連盟、ワシントン条約(1922)あたりの列強交錯の時代を辿る。曰く・・・露土戦争のあとロシアはバルカンに勢力を伸ばすが、これはイギリスには容認しがたい。このときの利害調整のためにベルリン会議が開催される。ここでルーマニア、セルビア、モンテネグロ、ブルガリアが独立。ロシアの伸張を認める代わりにイギリスにはキプロス占領権、イギリスの利権への異議を唱えさせないためにフランスにはチュニス占領を保証するという連鎖的なややこしさ。この会議を主催したのがビスマルクで、フランスにチュニスを与えることで国力が増強しつつあるフランスの目をヨーロッパの外(植民地)に向けさせることでドイツ(プロイセン)の安全保障をしようとしたビスマルクの深謀遠慮がある。しかし、ブルガリアなどのバルカン諸国には国境画定で不満が残った。ロシアは、結局、トルコからあまり領土を割譲できなかった。ビスマルクは、不満をかかえたロシアとフランスが手を結ぶことが心配の種。フランスを孤立させておきたい。チュニス占領はその布石だがまだ心配。かといってロシアに近づけば、オーストリアやイギリスと疎遠になり、もしかしたら、これらがフランスと結びつくかもしれない。ここでビスマルクはオーストリアを選び、対ロシアの秘密同盟を結ぶ。それでも心配なので軍備も増強する。しかし、帝政ロシアと共和政フランスはおたがい嫌悪感がある。かといってロシアも孤立はしたくない。そこで、ロシアはドイツとの同盟を提案し、ドイツも乗ってくる。ちょうど、反オーストリアのグラッドストン内閣がイギリスに成立したところなので、オーストリアもロシア、ドイツと同盟する(三帝協商)。不安なったイタリアも、ドイツ、オーストリアと同盟(三国同盟)。ビスマルクは戦争抑止のために、同盟、協商の網を広げる。ビスマルクの複雑な外交により、とりあえずは平和が保たれる。アフリカは、1875〜1895年の20年で、列強にほとんど分割された。ヴィルヘルム1世が崩御したあと、孫のヴィルヘルム2世が即位。ビスマルクとは性格が合わない(ビスマルクも敵が多い人だったらしいが)。高齢のビスマルクに早朝の仕事を命じるなど意地悪をしている。ビスマルク、ついに失脚。このあとドイツ外交はおかしくなっていく。後任のカプリヴィはビスマルクのややこしい外交をやめて、もっと単純でオープンな、一般の好意をひきつけるような明るい(?)外交をめざす。この流れで、まず、ドイツとロシアの同盟が失効。ロシアは、ドイツがイギリスと結びつくことを恐れ、ついに、不倶戴天のフランスと結びつく(露仏同盟)。ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と、ロシア・フランスの二国同盟と、名誉ある孤立のイギリス、という体制に組み変わる。日清戦争では、日本は清の港や市場で工場を建てて製造業を営む権利を手に入れる。最恵国待遇なのでこの権利はイギリスやドイツにも渡る(ただ、それが実際にできるくらいの資本をもっていたのはイギリスくらいだった)。下関条約で、日本は列強の仲間入り。アフリカに植民していたボーア人(オランダ人の子孫で「農民」という意味)は、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国を作っていたが、イギリスに侵略される(ボーア戦争)。イギリスは、これら2国を併合したが、ボーア人の抵抗にかなり苦戦している。義和団事件を契機としてロシアは満州を占領。これに脅威を感じたのが日本とイギリスだが、イギリスはボーア戦争中で手が回らない。イギリスはドイツに声をかけてロシアに対抗しようとするが、同盟は成立したものの、ドイツは満州問題をそれほど脅威に感じていないのでイマイチ頼りにならない。ここに仲間に入れてくれと入ってきたのが日本。これが発展して日英同盟となる。1899年にハーグで国際平和会議が開かれる。声をかけたのはロシア。軍拡競争に耐えられなくなったロシアの蔵相ウィッテが軍備増強を一時中止することはロシアの利益になると踏んだ。会議ははかばかしくなかったが、戦争法規の整備やガス攻撃の禁止など、決まったことも多い。ホブソンは、帝国主義は、資本主義の高度化にともなう資本の相対的過剰によって引き起こされる、と論証。日本は、韓国は日本の領土、満州はロシアということでロシアと交渉したが、ロシアは日本の韓国利権を認めない、で、決裂。日露戦争勃発。日本と組んでいたイギリス、ロシアと組んでいたフランスは困惑。フランスが参戦すると、条約上、イギリスも参戦しなければならない。これを防ぎたいという動機でイギリスとフランスが接近する。フランスにとっても、日英同盟によってロシアが極東に力を注ぐようになるとヨーロッパでの露仏同盟の威力が落ちてしまうので日露戦争は好ましくない。また、フランスはロシア公債に多く投資しているので日露戦争の行方は心配。そこで日本が勝ったとき賠償金を要求しないのなら、パリ金融市場で日本が起債するのを助けるという条件を示して講和をあっせんする、ということも考えている。日本海海戦でロシアは敗北し、戦争決着。日本はフランスで起債している。ロシアの力が落ちたのでイギリスは過度にロシアを恐れる必要がなくなり、むしろ、ドイツへの対抗上の理由から英露協商が成立。日英同盟もあるので、イギリスはロシアと日本を融和させる(日露協商)。さらに、日仏協商も成立。日本、フランス、イギリス、ロシアが同一勢力集団として結集する。これはドイツ包囲網となる。一方、ドイツはオーストリア、イタリアと同盟しているが、イタリアはフランスとも結びついていたので、ちゃんとしたメンバーともいえない。そもそも、ドイツが建艦法で大海軍をつくろうとしたことがイギリスの不安を招き、ドイツを外交的窮地に追いやった。また、ドイツはトルコからバグダッドまで鉄道を敷設しようとしたが、これはイギリスのインド利権の脅威でもある。ロシアにとっても同じ。この両者の不安がイギリスとロシアを結びつけた。バルカンなどではちょこちょこ戦争が起こっている。1914年にオーストリア皇太子がセルビア人に狙撃されるとオーストリアはセルビアに高圧的な通牒を送る。決裂し、オーストリアはセルビアに宣戦布告。ロシアはドイツ牽制のためにひそかに総動員令を発令。するとドイツはロシアに宣戦布告。フランスにも通牒をおくり、フランスはドイツと戦争になり、イギリスも参戦し・・・という風にヨーロッパ戦争になっていく。イギリスはシナ海でのドイツ軍撃破を日本に要請。日本は、やる気まんまん(イギリスはかえってそこまでしなくていい、という態度になったらしいが)。ロシアでは厭戦気分の大衆の心を戦争反対のスローガンをかかげるボルシェビキが掴んで政権を獲得し、ロシアは戦争離脱。ドイツではヴィルヘルム2世はオランダに亡命。ヴェルサイユ条約で終結。日本は清のドイツ利権を継承(イギリスやフランスともともとそういう秘密の約束をしていた)。1919年に共産主義インターナショナル第1回大会がモスクワで開かれるが、レーニンは世界同時革命は保証されていると演説。どうも、1〜2年以内にそうなるとレーニンは思っていたらしい。このコミンテルンは、改良分子や中間分子を排除していく。ハンガリーは共産主義化したが、それが失敗したのは、ハンガリー共産党と社会民主党の闘争が原因と考えられたから。日本は太平洋国家として勃興。アメリカにとっては容認しがたいし、オーストラリアなどの英連邦も脅威に感じる。この雰囲気では日英同盟の更新はできなくなる。アメリカはワシントン会議で、軍艦比率を制限し、中国の主権尊重などを提唱。うまく日本を押さえ込むが、不安になった日本の軍部は政治に介入するようになり、これがまた真珠湾へつながっていく。みたいな話。外交がとにかくややこしく、めまぐるしい。ろくに国際ルールがないので、各国が己の力と才覚で生きていかねばならず、かなり厳しい時代という印象。
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